10月18日に新宿FACEで行われた M-1グランプリ2018 3回戦の感想。M-1予選に行くのは十数年ぶり。ふだんのライブとは違う、ややピリっとした空気に「これだよ、これ」とわくわくした。
のばしぼん。と、ななまがりが印象に残った。世にあまり知られていない、あるいはこの世にまだないものを客に見せて、なおかつ夢中にさせる(しかも3分で)技量がすばらしかった。「この世にありえるのに、まだ見えていない選択肢」を見せるのがお笑いの面白さだと私は思っているので、この2組は刺さった。会場もわいていたと思う。
魔人無骨とわらふぢなるおも、面白かった。真顔ボケのたたみかけが心地よい。真顔ボケは誰にでも操れるものではなく、演者の人間性が徹底的にふざけていてこそ活きる。この2組のボケ役もアンタッチャブル山崎氏クラスのふざけ体質と思われ、そのことを確認するためにまた観たい。
ブリキカラスの漫才のある一言に感銘を受けたのだが、ネタバレになるといけないのでここ
に書くのは控える。
和牛の漫才は、面白かったのはもちろん、美しかった。今回、3回戦に足を運んだのも、和牛がどんな戦い方をするのか、そのプロセスを見たかったから。3分という制約のなかで、あのネタは別の形になり、磨かれていた。
……と、漫才コンテストの予選を見て、シロウトが分析的な文章を書くという、気持ち悪いことをしてしまった。それだけ今回の舞台が「語りたい欲」をかきたてるものであったと言い訳したい一方で、気持ち悪くない、別様の語り方もあるはずだよなぁと思っている。私にとっての「まだ見ぬ選択肢」。
気持ち悪いついでに観客のことも書いておく。お笑いマニア然とした50代ぐらいのおじさんが、隣で大笑いするたびに口臭が漂ってくるのには参った。「面白い場面が来る → 臭いも来ると身構える」という、パブロフ犬状態に陥り、集中できなくなったので、マスクをかけて防衛した。が、マスクをかけると笑い声が半減してしまうのが気になった。面白い場面では、100%の音量で笑い声を演者に届けたい。
別のライブでは、大股を広げて座る30代ぐらいの男の隣になったことがあった。こちらの陣地を侵食してくる脚が気になり、何度も見ていた。ふと目が合うと、男は私を大にらみしていて、恐怖を感じた。劇場で男の隣になる時は、嫌な目にあうことが多い。
(2018年10月19日 午前11時記)