廃刊になってしまったお笑い雑誌『コメ旬』1巻(2011年4月刊)より、自分の文章を転載します。
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芸人の女装
- 社会学者・澁谷知美
お笑い鑑賞の楽しみのひとつに、男性芸人の女装が見られるということがある。桜塚やっくんや、響、ダブルダッチ以降、舞台の多くを女装でこなす芸人は珍しくなくなり、シロウトですら「男の娘」として手軽に女装ができるようになった今日だが、マニア(見るほうの)にとって良い女装が眼福であることには変わりがない。
美しさで名前が上がるのは、はんにゃ金田、チュートリアル徳井、インパルス板倉あたりだろうか。はんにゃが新人だった頃、「とにかく見て!」と仲間から連絡を受けて深夜のコント番組で確認した金田は、伊東美咲ふうの妖艶な美女だった。その後、ギャル風コスプレでCDを発売し、パラパラを踊る姿に、いい所に目をつけるプロデューサーがいるものだと感心した。
徳井は、04年の『オールザッツ漫才』の「女装 de オールザッツ」のコーナーで、ぱっつん前髪のロングヘアで柴崎コウに扮して登場した。これにはうなった。シャレにならん感じがしたからである。「アダムス・ファミリーのようだ」とツッコミが入っていたが、そのように茶化さないとお笑いとして成立しないあやしさがあった。
05年の『ジャイケルマクソン』では、「女装センス対決」と称して、笑い飯西田らとともに理想の女性に扮する企画が行われた。徳井が選んだのは、オールディーズ的アメリカンなウェイトレスで、金髪のウィッグをかぶり、裾の広がったスカートにエプロンをかけて登場。コンセプトがやたらしっかりしているのには笑ったが、性別だけでなくエスニシティをも越境して西洋人になりきったのには驚いた。和モノも洋モノもこなせるのは濃い顔の徳井ならではだろう。己を熟知していると思った。
金田や徳井とちがい、男装時の板倉はキレイになりそうな感じがしない。エラがはって、骨ばっている。が、女装をするとみごとにハマる。『はねるのトびら』では、いつのまにか板倉女装シリーズができていて、イタッチー、濡美、岡田桜子などを演じた。それぞれ女子アナ、OL、秘書と、清楚系の職業婦人だったことは注目に値する。女装のプロによれば、基本的に派手めの女を模すと成功しやすいという。「女」の記号が過剰だからである。ギャルに扮した金田や華やかなウェイトレスに扮した徳井は法則に則っていたことになる。が、清楚系女子を演じた板倉は法則に依らずして女装を成功させたわけで、得がたい人材といえる。
と、キレイどころの名前ばかり挙げたが、じつは芸人女装の醍醐味はブサイクっぷりにあったりする。それも、分かりやすいブサイクさではなく、全力をつくしてなお漂ってしまう微妙なブサイクさ。その意味で突出しているのが、03年の『ガキの使いやあらへんで!』の「ピンクレディーだらけのバスツアー」におけるくりぃむしちゅー上田である。裏方の腕前がよいのか、この企画はメイク・衣装ともに精度が高かった。それでも、いや、そうであるからこそワクからはみ出るブサイクさが、上田演じる「カルメン77」のミーちゃんから立ちのぼっていた。
じつはあの中でいちばんブサイクだったのは千原兄弟せいじである。が、いかんせん分かりやすすぎた。「うわぁ、ブッサイク!」と断ずることのできない、「ブサイク……かな?」どまりの微妙さが上田の妙味である。彼の女装はめったに見られないという「お宝感」を除いても、あの女装に勝るものにお目にかかったことはない。
思えば、お笑いと女装は相性がいい。コントには「変わった人」が必要だが、男性が女装をすると簡単に「変わった人」を演出できる。これをキャラとして維持するためにはそれなりの技術を要するが、いかりや長介によるドリフコントのおばあさん、桑原和男演じる吉本新喜劇のおばあさん、青島幸男のいじわるばあさんなど、お笑いのなかで女装の伝統が脈々と息づいているのは、そうした事情があるだろう。
ここまで書いて気がついたが、昔から有名な芸人女装はおばあさんばかりである。ギャルやウェイトレス、職業婦人、キレイなものから微妙にブサイクなものまで、現在はいろいろな味を楽しめるようになった。そのことは、お笑いにおける女装が「変わった人」の記号を以前ほど背負わなくてよくなったことの徴候に思われ、だとしても、男性が女装をするにさいして「お笑い」という文脈がまだ必要であることを示してもいるようで、今後も男性芸人と女装のゆくえを見守らずにはいられない。